左右空想計画/LR-BEBEL

MEMORY

最近の動向や記録。雑記みたいなやつ。

3. 趣味嗜好作風芸風

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個人で何か作ってる人(主語がデカい)って、一次創作でも二次創作でも「こういう趣味なんだなぁ」とか「こういうのがやりたいんだろうなぁ」っていう、所謂オタクの『性癖』みたいなのが見えることって(それが合っているかはともかく)よくあると思う。

フリーゲームで(複数作出してると特に)を見るとそれを感じるんだけど、私が作っているもの(今のところ3つ)って他の人から見てそういうの感じるんだろうか?

いや見えなくても全然構わないんだけど、「俺はこういうのが好きなんだ!」みたいなのをエネルギーにして作る人の方が多かったりするのかなと。
それで、そういうのが作風というか芸風とか呼ばれるものになるのかなと。プレイする側もそういうの見えたら遊びやすいのかなと思ったり。
『ぶれいんぼむ』をプレイした友人に「なんか今までのと作風変えすぎでは」みたいなことを言われたんだけど、でもまぁそれを言うと他の2つも結構違うテイストな気がする。
もちろん、好みのものとか色々あるんだけど、何よりこう、他の人とあんまり被らないものの方が好きだなというのが自分の中で大きいかもしれない。

オーソドックスなアドベンチャーゲーム的なのは好きなんだけど、せっかく自分で作るならちょっと違う味出したいというか、実験してみたいなと。
あと、必ずしも『好きなもの=得意なもの』というわけでもないというのもあるよなぁとも思う。

「お前ってこういうの好きだよな」みたいな私の傾向に対する発見があれば誰か教えてほしい。

2. 寿命とステ振りと〆切

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それほど全力集中しなくても頭に入ってきて、尚且つ良質な物語を摂取する手軽なものがアメリカンドラマだと思う。

映像系娯楽を求めたとき、何に時間が掛かるかというと「次に何を観るか」と探す行為だ。
その点だと、話数が多く、1話完結形式が多いアメリカンドラマはとてもいい。
定額制の動画配信サービスが充実してきた今は特にそうだ。ちなみにオススメはAmazon Prime VideoとNetflix。

そういうわけで、近年は延々とアメリカンドラマ観て、なんなら何周もする作品もあったりした。
だけど、時間やお金や時勢が許すのなら、もっと他の、自分の元々の趣味の中心だったもの、新しいものもやりたいと思う。 小説や漫画、映画や音楽、ゲームやアニメ、観る方も作る方も。

最近宇宙が舞台の某アニメ作品を観て「人類の人生って宇宙に出るには短いよなぁ」と(別にそれが主題の話では全くないが)思った。 ワープ技術みたいなのがないと、移動に年単位で時間がかかるじゃん(小並感)。

で、宇宙ほどには壮大なものではないけど、何かを作るのってすんごい時間がかかる。
絵を描くにしても、プログラミングするにしても、文章を描くにしても。
筆が早い人や、短期間で伸びる人もいるけど、まず技術を獲得するまで、それから実作業にも時間が必要だ。

オタクとか、何かモノを作ってる人にとっては自明のことだろう。でも、本当にやってみるとわかっていてもちょっとびっくりするくらい大変じゃない?
そういうことに縁がない人はなんか現代技術でパパッとやってるとか、プロはササッとやってるとか思っているという話は聞くけど、実際はきっと私が知らない分野のものとか、あと企業とかもたぶん水面下では結構泥臭いというか、第三者から見てスマートじゃないことばかりだろうなと思う。

なんか話がズレた気がする。とにかく、ものを作るには時間がかかって、量にしても質にしても、上げていくのって大変だなっていう当然といえば当然のことを思った。
余命の宣告をされたわけでもなんでもないんだけど、特に個人でゲーム作ろうと思うと本当にやることが多いので余計に考える。自分のどこにステ振りするかみたいなことも。
このサイトももっと充実させていきたいし。

それと、最近漫画をいくつか新規開拓(今まで読んでいなかった作者やシリーズを読み始めた)して、うわ、すっげ、おもしろ!(語彙)って思った。
この初回に受けた感銘を書き留めておきたい、布教したいと思って、でもそれってTwitterかnoteかどこが最適なのかなって考えて、どこでもいいんだろうけど、あれこれ画策してる。
感銘や感情の鮮度のみたいなものがあるし、物語を摂取する割には記憶力怪しい気もするので、スピードは大事だけど、どうせならベストな手段がいいなって。

夏休みの宿題もテスト勉強の計画立ても好きじゃなかったのに、なんでいつも〆切を自分に課してるのか謎だけど、慣れたら〆切ってありがたい存在でもあるから、あった方が生きやすいと思う。

1. 記録か記憶かメモかメモリーか

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「このページって要するにブログでは?」って感じがするが、ブログという言葉を使うことに抵抗があった。

このサイトの作成のために、改めていろんなサイトを見て回って、そもそも個人サイトそのものが全然なくなったのだということを痛感した。
そんなことは随分前からわかっていたが、訪問しようにも数が少ないなという実感が湧いた。

老舗の個人運営サイトは昔と変わらない仕様のままか、完全にブログのみに移行しているかのどちらかが殆どだ。
そうだよなぁと思う。自分でサイトを作ると尚、そうだよなぁと思う。
手間とか費用とか趣味の変化とか訪問者数とか、理由は色々あるだろうけど、そうだよなぁと。

インターネット老人会的な懐古というか感傷というか、そういうものだと思う。
PCとネットが普及し始めてはいるけれどスマホはまだなかった頃、たぶん個人サイトの全盛期。
わかる人はたぶん似たようなものを思い出しているだろう。

わかる人にもわからない人にも、ここではサイバーパンクな絵面を想像してもらいたい。
サイバーパンクって表現が適切かどうかはともかく。あの、ネオンきらめく感じ。音とかもする。ギラギラしてた。
それが当時のインターネットの、特に個人サイトのイメージ。全部じゃないけど、なんかそういうのがよくあった。
今よりも使える色が少なくて原色多めだったせいもあるかもしれない。

昔はよかったとかそういうのじゃなくて。でもフリーゲームに触れたのもあの頃だったなと。

空気感でいうと、美少女PCゲームのカンブリア紀の作品にも似たようなものを感じる。
"あの頃"とカンブリア紀の時代が重なっているのもあるだろうけど、自分自身の世代ともズレているから、単純に何歳の頃の思い出とかそういうのじゃない。
不自由さと自由さみたいな。昔と今。田舎と都会というか。
たぶん伝わらないし、共感する人もあまりいないだろうけど、原風景だなって思う。

若干脱線したけど、そう、ブログに対する謎の抵抗感。

ブログは個人サイトが縮小していくときのことを思い出すし、そのブログが更にTwitterやpixivに移行していくときのことを彷彿とさせる。

たぶん、この抵抗感はその感傷と懐古によるものが大きい。

なくなったり、テンプレ化していったり。
古いものが好きか? 新しいものが嫌いか? どちらも違う。
時代の流れも利便性も機能性も構わない。
ただ、何か文化を失ったような、喪失感がある気がする。

そもそも個人サイトの設置というのがたぶん時代に逆行している。
なんとなく作りたくなったとか、htmlとcssちゃんとやるかとか、ゲーム置き場作ろうとか、その他諸事情あるけど。
今のところテンプレートを殆ど使わずに、このサイトやページを作っているのも。

ブログって言葉じゃなければこういうページをなんと呼ぶのか。
日記(diary)と呼ぶほどには毎日更新しない気がするし、メモとか雑記とかも何か惜しい。ノートだとnote(ウェブサービス)とかぶる。
なるほど、"あの頃"には徒然という項目がよく見られたのもなんだか頷ける。それだ。

Twitterでもnoteでもなく、このページに書くこと。そして記録しておきたいなと思うこと。
ログだと過去感が強いし、ブログってウェブログだ。記録でrecordだとなんか固い。
記憶だとメモリーだけど、なんかポエミー。でも、memoryって字面がほぼmemoじゃない?
メモリなら記憶装置だし。何の項目なのかわかりにくいけど、閲覧者を想定すると別に構わないだろう。
深夜のテンションで決めたけど、サイト自体が深夜みたいなものだ。
後悔したら変えるかもしれないけど。

そういうわけで、とりあえずこのページは"MEMORY"と称することにする。